ジャパニーズウィスキーの歴史について解説します!
【ジャパニーズウィスキー】とはスコッチウイスキーやアイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキーと並ぶ
【世界5大ウィスキー】の一つになります。今、注目されているジャパニーズウィスキーの歴史について紹介していきます!
1.ジャパニーズウィスキーの定義について
「ジャパニーズウイスキー」は、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアンと並ぶ「世界5大ウイスキー」のひとつで、その名のとおり日本で
造られるウイスキーで、 海外でも高い評価を受けていますが、その明確な定義づけがされたのは 2021年のこと。基準を制定した日本洋酒酒造組合による
と、事業者は原材料・製法について以下の要件をすべて満たす必要があります。
- 原材料は、麦芽、穀類、日本国内で採水された水に限ること。 なお、麦芽は必ず使用しなければならない。
- 糖化、発酵、蒸留は、日本国内の蒸留所で行うこと。なお、蒸留の際の留出時のアルコール分は95度未満とする。
- 内容量 700 リットル以下の木製樽に詰め、当該詰めた日の翌日 から起算して 3 年以上日本国内において貯蔵すること。
- 日本国内において容器詰めし、充填時のアルコール分は 40 度 以上であること。
- 色調の微調整のためのカラメルの使用を認める。
この定義に基づくジャパニーズウィスキーは下記のお酒になります。(一部)
響、山崎、白州、竹鶴、知多、ローヤル、スペシャルリザーブ、余市、オールドなどがあります!
2.日本におけるウィスキーの歴史
ウイスキーが日本に運び込まれたのは鎖国時代の1853年。ペリー率いるアメリカの艦隊がもたらしたといわれており、13代将軍・徳川家定にアメリカン
ウイスキー1樽が献上されたという記録も残されています。
その後、明治維新を経た1871年に、日本在住の外国人向けにウイスキーの輸入が開始。当初その消費量はけっして多いものではありませんでしたが、
1902年に日英同盟が締結後、英国からスコッチウイスキーが大量に輸入されるようになると、日本にも少しずつ浸透していきました。
その後、「ジャパニーズウイスキー」(統一された定義の運用は2021年4月から)は日本の発展とともに国民酒としての地位を築いていきます。
戦前から戦後にかけては、寿屋(現サントリー)退社後の竹鶴氏が創立した大日本果汁株式会社(現ニッカウヰスキー)を筆頭に、東京醸造、東洋醸造、
大黒葡萄酒(現メルシャン)、本坊酒造など多くの企業が「ジャパニーズウイスキー」造りに参入。また、高度経済成長期を迎えると大衆的な洋風バーが
続々と登場し、日本全国にウイスキーブームが到来します。1971年代前半にはスコッチウイスキーの輸入自由化と関税引き下げにともなう輸入洋酒ブー
ムが、1980年代にはサントリーが発売したオールドが大ヒット。バブル期のピークまで、ブームは続きます。
しかし、「ジャパニーズウイスキー」は、バブル崩壊後に低迷期を迎えます。その背景には、お酒の多様化によって食事に合わせやすい低アルコールのも
のが好まれるようになったこと、ウイスキーに親しんできた層が定年退職してバーや居酒屋に通わなくなったこと、1984年と1989年の酒税法改正で3級
と2級のウイスキーが大幅に値上げされたことなど、さまざまな理由がありました。イメージ的にも、ウイスキーは年配者向けのお酒と思われるようにな
り、若者にはなじみにくいものになってしまいます。
ブーム再燃のきっかけとなったのは、「角ハイボール」の登場です。「角ハイボール」とは、サントリーの「角瓶」を、ソーダで割って作るカクテルのこ
と。2008年に「角ハイボール」復活プロジェクトがスタートすると、リーズナブルな価格であることや炭酸のさわやかさ、アルコール度数を抑えた飲み
やすさのため、それまでウイスキーと縁遠かった若者を巻き込み大ヒット。翌年には17%のウイスキー市場拡大に貢献します。
また、クラフトディスティラリー(手造りで少量生産を行う蒸溜所)ブームの到来も人気復興の理由のひとつ。ウイスキー醸造を復活させた蒸溜所があら
われたほか、秩父蒸溜所(イチローズモルト)や厚岸蒸溜所、マルス津貫蒸溜所などの新鋭のウイスキー蒸溜所も「ジャパニーズウイスキー」を盛り上げ
ています。
今や「ジャパニーズウイスキー」はワールドワイドなお酒。日本のシングルモルトが世界中で人気になったほか、国際コンペティションにおけるジャパニ
ーズウイスキーのたび重なる受賞など、消費傾向が右肩上がりに回復しています。